竈門炭十郎は熊を倒す強さ!痣の正体は?透き通る世界を考察!

『鬼滅の刃』竈門炭治郎(かまどたんじろう)の父親炭十郎(たんじゅうろう)は、とても穏やかな植物みたいな人です。
私にとって炭十郎の人柄は、継国縁壱(つぎくによりいち)を思い出させます。
「透き通る世界」へ到達した人は、こんな風なのでしょうか?
この不思議な「透き通る世界」について考察してみました。

『鬼滅の刃』竈門炭十郎は、どうやって斧で熊を倒したのか?

単行本17巻第151話「鈴鳴りの雪月夜」で、竈門炭治郎の父炭十郎が息子炭治郎を連れて、見取り稽古した場面が描かれています。

この場面は『鬼滅の刃』の数々の名シーンの中で、私の中では秀逸だと思わせるものがあります。
それは、武術の極意を端的に述べているからです。
(以下の太字は、作中の抜粋です)

大切なのは 正しい呼吸と正しい動き
最小限の動作で最大限の力を出すこと

これは合気道に通じているし、柔道の黒帯だったフェルデンクライス博士が提唱するフェルデンクライス・メソッドにも当てはまります。

この事は、なにも武術に限らずスポーツやダンスでも、パフォーマンスを向上させるために必要なことだと思われます。

たくさんのことを覚え吸収した後は 必要でないものを削ぎ落す
私たちは普段の日常動作でも、無意識に無駄な動作や過剰緊張していたりします。
ましてや、武術やスポーツでは緊張して力み過ぎ、失敗することがよくあります。

その動きに必要なものだけ残して 閉じる」
この「閉じる」とは、私の解釈では一点に集中する、それだけにフォーカスするという意味に捉えています。

そういうふうにその瞬間 最も必要なものを選び取っていく
迷うことなく、ためらうことなく、ひるむことなく、ただ一番必要なものを選び取ると言うけれど、これはなかなか難しいことです。

私たちの大半はすぐ疑心暗鬼になったり、そんなの無理と思ってしまいます。
そうして心がブレると、行動もブレて人生までもブレてしまいます。

私たちの人生は、その瞬間意識的であれ無意識であれ選択してきたものが、ずっと数珠つなぎにつながって成り立っています。

余談ですが、この場面は読めば読むほど奥が深い、私は何度も読んで自分の中に落とし込んでいます。
『鬼滅の刃』はアニメも映画も素晴らしいですが、作品そのものをじっくり味わうなら、漫画を読むのが一番いいと思いますね。
どれも、それぞれの良さがあります。

さて話を戻して、炭十郎が熊を倒せたのは、「透き通る世界」を体得していたから、一瞬で熊の首を斧で落とせたのです。
でも「透き通る世界」って抽象的で、言葉ではわかりにくいですよね。

透き通る世界とは、一体何なのか?

私の見解では、「透き通る世界」とは武道の奥義とも言えるし、ゾーンに入るまたは無我の境地とも言えると思います。

これは、もう言葉を超越した感覚の世界です。
感覚の世界を、完全に言語化し理解するのは不可能です。

炭十郎の言葉を要約すると、
「初めは覚え、動きや感覚を拾い、五感を開き自分の体の形を血管の一つ一つまで認識する」
「この時本当に苦しい、このまま踠(もが)き続けても、先が行き詰っているとしか思えない」
「たくさんのことを吸収した後、不要なものを削ぎ落す」

「一つに集中して、その瞬間最も必要なものを選び取っていく」
「やがて体中の血管や筋肉の開く閉じるを、まばたきするように速く簡単にこなせるようになる」

「その時、光明が差す道が開ける」
「頭の中が透明になると“透き通る世界”が見え始める」

「これは、力の限り踠いて苦しまなければ届かない“領域”」

武術の心得がある人や優秀なアスリートならわかるでしょうが、素人には筋肉の開く閉じるとか、血管の隅々まで認識すると言われてもピンと来ませんね。

私の見解では、無駄な動きはもとより感情も思考もそぎ落とし、頭の中が“無”の状態で、もしかしたらシューマン共振した変性意識状態のことを言っているのかも知れませんね。
この時右脳全開なので眼に映る全ての情報は、高速情報処理されるそうです。

『鬼滅の刃』公式ファンブック『鬼殺隊見聞録・弐』の特殊能力の説明で、「透き通る世界」について書かれていたので抜粋します。
「必要な動作だけに集中し、他の感覚を閉ざすことで、相手の体が透き通って見える領域に到達する」ことであり、相手の体が透けて見え相手の動作や弱点がわかるのだそうです。

『鬼滅の刃』竈門炭十郎の痣の正体は?一体何者なのか?

竈門炭十郎は、こんなに強くても鬼殺隊の隊士ではなく、ただの炭焼き職人です。
炭十郎の年齢は明示されていませんので、大体20代後半から30代前半にみられています。

炭十郎は生まれつき額に薄い痣があったようです。
炭十郎の死因についても言明されていませんが、おそらく病死であろうと言われています。

炭十郎は日の呼吸の使い手としての痣があるから、25歳で死んだのではないかとの見方もあります。
しかし炭十郎は呼吸の力を極限まで出して、後天的に痣を出した剣士とは違います。

炭十郎の痣は、もしかしたら縁壱同様のものなのかもしれませんが、肉体自体が強くなかったので、痣はあまり関係ないのかもしれません。
彼は元来体が弱かったのだから、病死したのだろうと私は思います。

雪の降る寒い年の始めに、毎年一晩中ヒノカミ神楽を舞い続けた炭十郎。
その時炭治郎が言った言葉が、私は気になりました。

「肺が凍りそうだよ」

虚弱な体質の人が、そんな凍るような空気を一晩中吸っていたら、普通に考えて肺がやられますよ。
抗生物質が開発される前は、日本では結核で死ぬ人が多かったので、私は何となく炭十郎は、結核なのかもと思ったりします。

日の呼吸の剣士・継国縁壱(つぎくによりいち)との共通点

共に日の呼吸の使い手である炭十郎と縁壱は、人柄というか性格が似ていると思います。
炭十郎は植物のような人で、感情の起伏が殆どない、いつも穏やか、柔らかな笑顔と川のせせらぎのように落ち着いた声の持ち主。

縁壱は剣を振るう時は、人ではなく精霊のようだと言われ、感情をあまり顔に出さず、おっとりした性格、物静かな人格、雷が落ちても微動だにせず、動物や虫に好かれていたそうです。(戦国コソコソ話より)

炭十郎が縁壱の生まれ変わりとまで言えないにしても、どうも私は気になります。
「透き通る世界」に到達した者の共通点でも言うのでしょうか?
私は不思議でなりません。

取り留めなくなってしまうので、この辺にしておきます。
最後まで、読んで下さりありがとうございました。

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