『鬼滅の刃』竈門炭吉(かまどすみよし)の妻子について語ります。
おもに『鬼滅の刃』単行本21巻と22巻の話をもとにしていますので、まだ読んでいない方、アニメしか見ていない方ネタバレ注意です!
なお、竈門炭吉についてご興味のある方は、こちらへ☞炭吉
私の気持ちとしては、本当は炭吉さん、すやこさん、すみれちゃん、縁壱さんと書きたいところですが、そうすると字数が多くなるので敬称略にしました。
竈門すやこは、炭吉(すみよし)の妻。縁壱(よりいち)の妻うたに似ている?
すやこは夫である炭吉のことを、「炭(すみ)さん」または「炭吉(すみよし)さん」と呼んでいます。
見たところ天真爛漫で屈託なく、誰とでも仲良くなれる人のようです。
すやこの容姿は、確かに縁壱の妻うたに似ていると私も思います。
性格も似ているから、余計そう思えるのかもしれませんね。
頭に布を巻いているのも共通点で、すやこはおでこ上の真ん中で結んでいましたが、うたは左横で結んでいました。
二人とも大きなつぶらな瞳です。
二人が、笑顔で大きく口を開けて喋っているところもそっくりです。(笑)
見ていてこっちもつられて、なんだか楽しくなりますね。
山中で大名の妻子を助けたお礼にあばら家を綺麗にしてもらい、ぴょんぴょん飛び跳ねはしゃぐ姿は、本当に無邪気そのものだと私は思います。
見ていて心和みますね。
縁壱もきっと和んで、心地よさを感じていたと思います。
『鬼滅の刃』単行本21巻第187話「無垢なる人」の場面のすやこが、私の中で一番印象深いです。
山から栗拾いをして帰って来たすやこが、泣いている縁壱に近寄り、
「そんなに泣いてどうしたの!」
「きっと大丈夫よぉ」
「お腹いっぱいご飯食べさせてあげますから ねっ!」
と言いながらすやこは、笑顔で縁壱の頭をなでなでしていたのです!
よしよしと撫でている手が、まさしく母親そのもの!
やっぱり日本の母は強い!
最強の剣士とうたわれた縁壱の頭を、まるで子供のように撫でて慰めているのだから、私は「おおぉー」と思いました。
それで、縁壱は悲痛な想いに張り詰めていた心から抜け出して、気持ちも楽になったようでした。
ここもどうしようもなく悲しい場面だけれど、すやことすみれがいたお陰で、なんだか私は心がホッとしました。
栗の収穫の時期だから、9月か10月に縁壱は竈門家に訪れ、どのくらい滞在したのか不明ですが、温かくて優しい竈門家で穏やかな時間を過ごせたのでしょうね。
私は縁壱が竈門家の人たちと仲良く食卓を囲んで、美味しい栗ご飯を食べている姿を想像すると楽しくなります。
栗ご飯と汁物とお漬物かな?なんて、情景が目に浮かびます。
炭吉の娘(長女) すみれと縁壱の関係は?
『鬼滅の刃』単行本22巻第192話の「廻(めぐ)る縁(えにし)の前話は、「どちらが鬼か」でしたが、炭治郎の醜い姿がエグ過ぎて目を背けたくなるので、さっとページをめくると、今度は全く違う世界になり、また引き込まれてしまうのだから不思議。
一転して、牧歌的で叙情的な場面展開に目をみはりました。
地獄から平和な日常へのコントラスト、動と静のテンポ良さ、物語の構成力というかプロットが素晴らしいです!
それと、話の合間に入る「戦国コソコソ話」も幕間の小話として面白いです。
さて話を戻して、冒頭で描かれている幼児のすみれが縁壱に差し出したお花は、白とピンクのニチニチソウです。
すみれが縁壱にあげたお花の花言葉は、
白いニチニチソウは、「生涯の友情」
ピンクのニチニチソウは、「優しい追憶」
素敵な花言葉ですね。
「生涯の友情」とは、竈門家との友情ですね。
「優しい追憶」は、うたや竈門家との思い出を懐かしむということでしょう。
花をもらった縁壱の顔は、物悲しいような表情に乏しいけれど、2輪の花を持つ縁壱の姿は風情があります。
物静かで素朴な人だったと書かれていますが、見るからに優男(やさおとこ)のように見えます。
ちなみにニチニチソウは、日当たりの良い場所を好み花の寿命は数日ですが、毎日新しい花を咲かせる力強さを持っています。
毎日咲くので、ニチニチソウ(日々草)と名付けられたんですね。
ニチニチソウは、その辺でよく見かける丸みのあるかわいいお花で、白、ピンク、赤、紫など鮮やかな色でとても綺麗です。
このようにちょっとしたことですが、私は花が加わることでより情景が和むような気がします。
さてまた話を戻して、縁壱が無惨を討伐できなくて、苦しくて心の底から悲嘆にくれていた時、すみれはいきなり縁壱に「だっこぉ」とせがみ、縁壱に高い高いと持ち上げてもらうと、キャッキャッと無邪気に笑いました。
その二人の姿を見ると、私ももらい泣きしてしまいました。
愛に満ちた純真無垢な魂は、本当に人の心を癒してくれますね。
この情景描写の素晴らしさに、私は思わず浸ってしまいました。
『鬼滅の刃』がなぜこれほどまでに大人気なのか、作品を読めば読むほど味わい深さがわかって来ます。
このように叙情的心情的な話は、女性の好むところです。
大ヒットさせようと思ったら、多くの女性と子どもを引き入れないと無理でしょうからね。
竈門家が日の呼吸を、ヒノカミ神楽として受け継いだいきさつ
第192話「廻る縁」の要約は、以下の通りです。
すやこが剣の型を見たいとせがむと、縁壱は見せてくれるような優しい人で、
炭吉はそれをつぶさに見て、一つも取りこぼさずその瞳に焼きつけた。
日の呼吸の型は、息を忘れるほど綺麗だった。
あまりにも美しすぎた。
後に神楽(かぐら)として受け継がれていった理由がわかる。
剣を振るう時縁壱は人ではなく、精霊のように見えた。
すやこや子供たちが喜んではしゃぐと、照れくさそうにうつむいていた。
これだけ見ると、炭吉はたった一回見ただけで覚えたように受け取れます。
日の呼吸自体、鬼殺隊の柱でさえ習得するのが難しかったのに、素人の炭吉がなぜ縁壱から訓練も受けず会得できたのか謎です。
でも私は揚げ足取りではないので、この謎はそのままにしておきます。
ただ本当に一度見ただけで、鮮明に記憶できる人はいます。
ピアニストで一度曲を聞いただけで、完璧に覚え弾ける人もいます。
人間の能力は計り知れないものがあります。
炭吉は実は視覚に特化した才能を持っていて、視覚情報を完全記憶できたのではないでしょうか?
炭治郎は嗅覚に特化しているし、もともと特殊能力の家系なのかもしれませんね。
炭吉は命の恩人でもある大切な存在の縁壱のため、耳飾りと日の呼吸を子々孫々伝えると涙ながらに縁壱と約束しました。
そうして伝えられた日の呼吸十二個の型は、何百年も経つのに驚くほど正確に伝わっていました。
炭治郎は幼い頃から、日の呼吸をヒノカミ神楽として練習してきたので、成長が著しく速かったのですね。
最後までお読みいただきまして、ありがとうございました。

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